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錦織圭のプレイスタイル [スポーツ]

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日本人初の世界ランキング10位以内を達成し、全米オープンでは準決勝という快挙を成し遂げた錦織圭。
世界ランキング1位のノバク・ジョコビッチをも追い詰めた錦織圭のプレイスタイルは一体どんなものなんでしょうか。

とても繊細で攻撃的なプレイスタイルで有名です。
世界屈指といわれるリターン、スイングスピード、足の速さを武器とするオフェンシブ・ベースライナー。
錦織圭のバリエーション豊かなショットとスピードのあるリターンで、どんどん相手を追い詰めていく攻撃的なプレイスタイル。
考える時間、予備動作の時間、スイングの準備時間を奪い、精神的に追い詰めていきます。
錦織圭は、速い展開を得意とし、また、そういう展開に引きずり込む力に優れているプレイスタイルと言えます。

錦織圭のプレイスタイルを語るとき、よく言われるのがこうした「ゲームを展開する力」です。
素早いフットワークと予測力を駆使したコートカバーリングから、早いリターン、カウンターショットで相手をコントロールし、自分のテニスをする力。
トッププレイヤーが錦織圭の攻撃力を褒めるのをよく耳にしますが、こうした総合力を評価してのことでしょう。
早いタイミングのショットで速攻をかけ、様子を伺おうとする相手をたたみかけるスピード決戦で浅いボールを見逃さずに打ち込んでいきます。
BIG4に挑む新しい世代のトップ選手のプレイスタイルとして、屈強なフィジカルを活かしたビッグサーバー、パワープレイヤーということがあげられます。
「攻撃力」と言われると、まず思い浮かぶのがこちらのプレイスタイルですが、世界の選手に比べ体格が特別優れているわけでもなく、パワフルなショットで押し切るわけでもない錦織圭が、速い展開を作り出してポイントを攫っていく様子は見ていておもしろいです。
余談ですが、フィジカルのモノを言わせたパワープレイは一昔前のプレイスタイルで、素早いフットワークやカウンターに圧倒され勝てなくなっているプレイスタイルと言われていました。
もちろん昔に比べるとオールラウンダーに戦える選手ばかりですが、そういったプレイスタイルが復権してきている、という面白い見方もあります。

そして、とりわけ最近になって目立つようになった錦織圭の強さが「精神力」です。
海外では「メンタルモンスター&タフネス」という異名で呼ばれるほどの精神力をもつ錦織圭。
どんなに追い詰められようとも喰らいついて勝利をもぎ取る場面を何度も見てきました。
このメンタルの強さは、現役時代「もっとも精神力が強い選手」と言われたマイケル・チャンのそれを引き継いでいるのだと思います。
「トップに立つには今のままでは駄目だ。メンタル、フィジカルを鍛えなければ絶対に無理」
マイケル・チャンがコーチ就任時に錦織圭に伝えた言葉です。
メンタル、フィジカルはもちろん、基礎練習の繰り返しに裏打ちされた技術力もかなり伸びてきた印象があります。
攻撃的なプレイを信条としている反面、ここぞという場面での自滅ミスが多かったのも、錦織圭が勝てなかった理由のひとつでもありました。
最近の錦織圭は、自滅ミスを大きく減らし、格下の相手からは必ず勝利をもぎ取る安定感も出てきたように感じられます。
マイケル・チャンを迎えて、錦織圭の精神力は大きく成長を遂げ、技術面も基礎から叩き上げられ、もともとのスタイルにさらに磨きがかかっています。
全米オープンでは4時間以上のフルセットマッチを2度も続けて戦うなど、スタミナも世界屈指のレベルにまで成長しています。
サーブやバックハンドはより安定し、力強くなりましたし、恐るべき練習量によるフィジカル面での強化など、2014年の錦織圭はそれまでと比べると目を見張る成長ぶりでした。


錦織圭は戦術面での評価も高いです。
相手を適切に見極めた、本能的とも言える戦術眼で相手を精神的に追い詰めるプレイスタイルです。
勝負どころをはっきりと見極めてギアを調整し、ここぞという時の決め手も強い。
相手選手の苦手なところをついていくゲームメイクの巧さは、世界のトップで戦っていながら時折戦意を喪失してしまう相手もいたりするほど。
こういうプレイスタイルは、テニス界全体を見渡しても珍しい気がします。
こうした、「先を見越して計画を立てる」というスタイルは、錦織圭の性格からくるものだという人もいます。
錦織圭に近しい人は、錦織圭の「とても物を大切にしていて、一瞬一瞬を大事にしている印象」を語っていました。
もちろん、それだけではないでしょう。
体格に恵まれないアジア人選手が世界を相手に戦うには、ゲームメイクを極めることは必須といってもいいかもしれません。


錦織圭の弱点を強いてあげるとすればやはりフィジカル面でしょうか。
サーブのスピードが190キロとあまりのびず、長年サービスの迫力不足を指摘されていました。
確かに、圧倒的有利なサービスゲームを落とす展開も少なくありませんでした。
しかし2015年に入ってからはラケットをスピードの出やすいものに換え、フォームも改善して200キロが出るようになりました。
そして、速い展開の上に繊細なタッチを要求されるプレイスタイルなので、コートやボールの違いによる影響を受けやすいこともあげられます。
苦手なタイプはパワー型、左利き、ネットダッシュをする選手。
特に体格の大きいフィジカルを売りにしたプレイスタイルの選手を苦手とするところがあるようです。

錦織圭も「ポイントのとり方が見えない」と語っていたのがフアン・マルティン・デル・ポトロ選手。
198cmの長身から放たれる超高速サーブ、その最高時速は236キロ。
コントロール重視の余裕をもったサーブでも200キロオーバーを叩き出すすさまじいサーブを武器としているプレイスタイルの選手です。
フォアハンドですら160キロをマークし、安定感も抜群のパワープレイヤー。
全米オープンでの黒星は記憶に新しいですね。

パワー型、左利き、ネットダッシュの3つの条件にドンピシャなプレイスタイルの選手がフェリシアーノ・ロペス選手。
サーブ&ボレーが得意なネットプレーヤーで、ベースラインでの打ち合いにも優れた選手です。
2015年3月18日に行われた、BNPパリバ・オープン男子シングルスでも、錦織圭はロペスにストレートで敗れました。
最後までロペスのスライスに対応しきれず、錦織圭のいいとこが出ずに終わった試合でした。
苦手なサーフェスで成績はベスト16と自己最高を記録しましたが、錦織圭の実力を発揮しきったとはいい難い内容。
世界のトップへ登り詰めるためには、苦手なサーフェス、苦手な相手でも白星を掴み取れる対応力が求められます。

もちろん、自分の弱点を一番把握しているのは錦織圭自身でしょう。
そしてどうしたら克服できるのかを知っているのも、彼自身だと思います。
フィジカル・精神力・技術力といった勝負の基礎を鍛えるマイケル・チャンの方針は大成功といって良いほどの躍進を遂げた錦織圭。
2015年はどんなテニスを見せてくれるのか、楽しみですね。



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日本初のランキング10位以内に入り、世界ランキング1位のノバク・ジョコビッチを圧倒してみせるなど、いまや世界を驚愕させるほどのテニスプレイヤーとなった錦織圭。
その進化の軌跡を追ってみました。

錦織圭がテニスを始めたのは若干5歳の頃。
幼い頃からその才能は群を抜いており、2001年に全国選抜ジュニアテニス選手権大会(12歳以下の部)、全国小学生テニス選手権大会、全日本ジュニアテニス選手権大会(12歳以下の部)の3大会で優勝するほど。
この頃からすでにグランドスラムで優勝したいと言っていました。
その活躍は松岡修造の目に留まり、あの有名な「修造チャレンジ」に参加。
その後すぐに海外に留学し、活動の拠点をフロリダに移します。
海外での活躍も目覚しく、ジュニア時代からシニアの大会にも積極的に参加、シングルス年度末ランキングを603位、日本人選手10位以内につけるなど、既にトッププレイヤーとしての地位を固めています。

今、世界のトッププレイヤーを翻弄する錦織圭の必殺ショット「エアケイ」もジュニア時代に生まれました。
ボールの上がり際をジャンピングフォアハンドで捉え、相手の返球のタイミングを外すこの必殺技が生まれたのは錦織圭が13歳のときです。
当時の錦織圭の身長は150cmほど。
それゆえ、高いボールを強く打ち返すことが出来ませんでした。
そこで、高くジャンプして打ち返すようにアドバイスをもらいます。
その数カ月後、錦織圭は『高いボールを打ち返すだけではなく、武器として打ち込むようにしよう』と、それを自分の技として進化させていったそうです。
まさに、短所が生んだ長所。
ジュニア時代からの錦織圭の意識の高さが伺えます。
テニスの王子様を愛読していて、漫画に出てくる技や練習法を真似たこともあそうです。

錦織圭がプロに転向したのは17歳の頃。
2008年の全米オープンでは格上と思われた相手をなぎ倒し、松岡修造以来13年ぶりとなるグランドスラムベスト8進出を果たしました。
2009年には世界ランキング自己最高56位に上り詰め、 2008年度のATPワールドツアー最優秀新人賞(Newcomer of the Year)を受賞するなど、このまま躍進を続けていくように思われていました。
しかし、5月に右ひじの疲労骨折が判明し、療養のためしばらく試合から離れることになってしまいます。
そして2011年、世界ランキング1位の選手を破るという日本人選手として史上初の快挙を成し遂げ、錦織圭の名は世界に知れ渡ることになります。
世界ランキングも順調に更新し、2013年には自己最高11位を記録。
名実共に日本最高のテニスプレイヤーとなります。
しかしグランドスラムでの戦績は振るわず、その試合内容はまだまだ世界への壁は厚いと思わせるものでした。
そして2014年、アジア人初のグランドスラム優勝を成し遂げたマイケル・チャンをコーチに迎える事を発表。
更なる進化を目指したのです。
コーチとしてのマイケル・チャンはまさしく鬼。
錦織圭にとっても、辛い日々となったのではないかと思います。
何せ、マイケル・チャンがコーチに就任して初めて言った言葉が「君は私を嫌いになるだろう」です。
それはもちろん、錦織圭を全霊をかけて進化させるというマイケル・チャンの決意の表れなのですが、その鬼っぷりがよく現れた一言です。
それまでの錦織圭の試合から、精神的な弱さ、自滅ミスの多さ、フィジカルの弱さを指摘し、徹底的に強化します。

2014年はその成果がよく現れた1年でした。
これまでの精神的な弱さは身を潜め、「どんな相手だろうが俺が勝つ」という強気の姿勢が見られるようになりました。
ミスは極端に減り、格下相手に取りこぼすといった内容はほとんどなくなりました。
フィジカル面での強化も成果が出てきていて、かねてから迫力がないと言われていたサーブは200キロをマークするまでに。
2014年は錦織圭にとって目覚しい進化の年だったのではないでしょうか。

しかしまだまだ満足してはいません。
目標は日本人初のグランドスラム制覇。
そして世界ランキング1位です。
錦織圭は2015年もまだまだ進化を続けています。
進化し続ける天才、錦織圭をフェルーレ・ロペスという選手を通して、見ることができます。

フェレール・ロペスと錦織圭の対戦は今年で10戦目。
その10戦を通して2014年、錦織圭がどれだけ進化したかということを知ることができます。
1度目の対戦は2008年全米オープン。
「有望な若手」に過ぎなかった錦織圭の存在を知らしめる勝利で幕を閉じます。
2度目の対戦は2011年楽天OP。
完敗でした。
2008年の結果もあり、錦織圭本人は相当ショックだったようです。
3度目、2012年ロンドン五輪はブレークからのマッチポイントを制し勝利。
4度目、5度目の対戦はいいようにやられて完敗。

これまで一進一退を繰り返していた両者ですが、そこから錦織圭の進化が始まります。
2014年は4度の対戦がありました。
6度目、マイアミ。
ファイナルセットのタイブレークから4本のマッチポイントをしのぎ、ゲームを制したのは錦織圭。
「メンタルモンスター&タフネス錦織圭」の誕生の瞬間です。
7度目、マドリード。
フェルーレのホーム、スペインでの対戦です。
3時間にも及ぶ死闘を制して勝利を収めます。
8度目、パリ。
両者譲らない大熱戦を繰り広げ、最後にはフェレールの足を止めたスタミナ勝ち。
9度目、ファイナル。
ラオニッチの代役として出場したのがパリで退けたはずのフェレールでした。
展開は苦しいものでしたが、第3セットで驚きのスーパーゾーンテニスで力の差を見せつけ勝利。
ファイナル準決勝進出を決めます。

フェルーレとの対戦はどの試合も錦織圭にとっては楽なものではありませんでした。
勝つときは辛勝といえる内容。
負けるときはストレート負けです。
そんな相手をはじめて圧倒し、完勝したのが2015年全豪オープンでした。
この試合で錦織圭は世界ランク5位として、格下の相手をはねつける試合をやってのけたのです。
ランキングでは勝っているとは言え、錦織圭にとってフェルーレは確かに格上の相手でした。
それを抑え、明らかに選手としての格の違いを見せ付けて勝利したことには大きな意味があります。

試合の後も、戦いは続きます。
グランドスラムを制覇するということは、世界の頂点に君臨するプレイヤー達を相手に”戦い抜き”勝利を収めるということです。
錦織圭はそれまでのフェルーレ戦では、勝ったとしてもその後の試合に大きな影響を残しています。
必ずフィジカルに不調をきたし、完敗か、もしくは棄権かという無残な結果に終わっています。
そのフェルーレを圧倒し、完璧な勝利を収めたところに、錦織圭の圧倒的な進化を感じずにはいられません。
全豪は惜しくも敗れましたが、「今年の錦織圭は一味違うぞ」ということを示した大会になったのではないでしょうか。
まだまだ進化を続ける天才、錦織圭。
彼が日本人選手として史上初のグランドスラム制覇を成し遂げるのも、そう遠い未来ではないかもしれません。

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