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錦織圭の支え [スポーツ]

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錦織圭がアジア人初のグランドスラム決勝進出をした事は、日本中が驚いた。
しかし、世界中で驚いたかどうかは分からない。
むしろ、欧米諸国では「やっぱりな」感が強いのではないだろうか。
驚いたのは日本のみではないだろうか。
何しろ、錦織圭の躍進は世界での評価が日本で追いついていないと言われている。
まだ14歳で単身渡米し、そのまま拠点を海外に移してしまった為日本での認知度はそこまで高くなかった。
しかし、グランドスラム決勝進出するに至ってようやく日本中が錦織圭の名前を認知したのである。
ここまでビッグネームなるまでに、両親を始めとし、さまざまな人間によって支えられてきたはずだ。
どのような人々が錦織圭を支えてきたのか、それを見て行きたい。

まずは錦織圭のご両親だ。
テニスを始めた錦織圭の為、テニスに集中できるようにテニスコーチを通じてウィルソンの道場滋へ用具提供を持ちかけた。
非凡な才能見抜いていたコーチは、これに応じ、人となりに惹かれた道場滋が用具提供を受諾した。
11歳にしてウィルソンのバックアップを受ける事ができたのは、父親の行動力の賜物だろう。
それからも、ウィルソン一筋で様々な大会を勝ち抜いて行くのである。
やはり子供の才能を伸ばすも潰すも両親の度量にかかっているのだろう。
ここで錦織圭の父親が、「テニスで食べて行くのなんてムリムリ」と一蹴してしまっていたら、世界ランキング4位に日本人が入るという快挙もなかったのだ。
才能があるため、色々な大会も勝つだろうが、やはり世界の頂点を狙うとなると両親の支えなくしては無理だっただろう。
錦織圭の母親も、マイケル・チャンをコーチにするまでに一役買っている。
やはり両親そろって傍観しているのではなく、子供の為に積極的にかつ効率よく動く事が大切ということだろうか。


次はマイケル・チャン。
2014年からコーチとして錦織圭を支えた人物。
新たにコーチとして錦織圭を支えるこの人物はいったいどのような経歴なのだろうか。
世界ランキング自己最高2位。
グランドスラム優勝経験を持ち、男子シングルでグランドスラム最年少優勝記録保持者だ。
わずか17歳3ヶ月のことだ。
その後もグランドスラム準優勝3回などの実力をほこっている。
31歳で現役引退してからはスポーツの慈善事業をしているらしい。
それが2013年、マイケル・チャンの妻に錦織圭の母親が話しかけたことがきっかけで、マイケルとのつなぎを作った。
そして、IMGが動き、マイケルをコーチへ引き込む事に成功したのである。
その後の結果は昨年一年間をみている通りである。
年初18位だったのが、悲願のベスト10位入り。
そしてとうとうベスト5位入りを果たすのである。
マイケル自体、テニス選手ではあったが、トッププロのコーチ経験は無い。
それでも、なんとしてでもコーチになって欲しかったのは、トップ10位の壁を崩すにはその世界に身を置いた経験が無いとダメだとということだろうか。
「その世界の厳しさを伝授してほしかった」と錦織圭の父親が語っている。
マイケルが錦織圭を支えて1年あまり。
一番錦織圭自身、変わった事は?という質問に「自分を信じることが出来るようになった事」
と述べている。
たしかに、マイケルが錦織圭のコーチに就任してから「ずっと挑戦者ではいられない」と力強い言葉がでるようになった。
トップ3を倒しに行く、という強い気持ちがマイケルによって生まれたのだろう。
メンタル面だけでなく、実際マイケルの猛特訓は凄まじかった。
それを乗り越えただけでも強くなったはず。

次はダンテ・ボッティーニ。
ダンテも元々はテニスの選手だったが、マイケルほどは有名どころではない。
2010年錦織圭IMG時代にヒッティングパートナーとしてフルタイムのコーチに就任したらしい。
マイケルほどの実力の持ち主ではないものの、マイケル就任まで4年間錦織圭を支えてきた。
そして世界ランキング11位まで押し上げたのである。
口うるさいマイケルと比較されておおらかなラテン気質はマイケルといいバランスなのではないだろうか。
その他にも、スペイン語圏の選手やコーチとの人脈を駆使し、大会期間中の練習相手を見つけてくるという役割も担っている。

次は中尾公一。
錦織圭のパッチスポンサー「ウィダー」のトレーナーである。
2010年からスポンサーとして錦織圭を支えるウィダー。
生理学、栄養学、心理学など多方面からのアプローチにより、最高のパフォーマンスができるよう数々のアスリートを支えている。
そのなかでも中尾は2013年より専属トレーナーを務めている。
専属とはいえ、ウィダーにいる他のトレーナーと連携しながら錦織圭の健康を支えているのだ。
2010年錦織圭は右肘の痛みにより、11ヶ月もの間リハビリに励んでいた。
プロ選手として一年近くも大会に出場ができないというのは大変な事だ。
テニスは1年を通して大会があるため、ケガで長期離脱は大きなロスとなる。
それが、中尾がトレーナーを務めてから格段に故障がへったという。
錦織圭自身、昨年は「治療においては100%任せられる」とコメントしている。
中尾はまず、体のひずみを取る事に専念した。
体がきちんとバランスを取れていないため、本来使わなければいけない筋肉を使えていないため、他の部位でそれを補う。
すると補っている部分に付加がかかり過ぎ、痛みが発生するという悪循環をみぬいた。
使わなければいけない筋肉をきちんと使っていく事により、バランスが取れて体幹が整い、ひずみが無くなったという。
そのため、中尾がトレーナーになってからは長期離脱はしていない。
テニスはランキングが上がる程、強制的に出場しなければいけない試合が増えていく。
その為、一年間通して最高のコンディションを保たなければならない。
中尾は錦織圭の健康面を全面的にサポートしているのだ。

次は、オリバー・ファンリンドンク。
錦織圭のマネージャーをしているIMGの人である。
マイケル・チャンをコーチに引き込むべく奔走した人物である。
マイケルの連絡先を手に入れるや否や、マイケルに錦織圭の試合ビデオなどを送り、いかにマイケルが必要かを本人へアピールしたという。
彼の功績無くしてはマイケルはコーチを引き受けなかっただろう。
マネージャーは他のコーチやトレーナーと違い、決して花形な立場ではない。
しかし彼のサポートなくして錦織圭の躍進はなかったと言えるだろう。
そして、その後も錦織圭を支え続ける。
グランドスラム後の,マレーシアオープンにマイケルはやってきた。
本来くる予定はなかったが、オリバーが説得し、クアラルンプールまで来させた。
なぜなら、グランドスラムで活躍した選手は、それをピークに下り坂にさしかかるという。
もし、マレーシアオープンで錦織圭が活躍できなければ、その後もそのまま坂を転げ落ちるという分だ。
気を引き締めさすため。
そしてモチベーションを上げる為でもある。
そういった細かい心遣いでこれからも支え続けていくのだ。

以上が世界ランキング4位という偉業を達成する為に錦織圭を支えてきた一部の人々である。
これ以外にも、IMGへ留学させるため盛田ファンドへスカウトした人物、盛田ファンドの盛田会長。
そしてジュニア時代を支えた人物達。
ジュニア時代のコーチ柏木正樹やIMG時代の旧友富田玄輝、喜多文明など様々な人物によって支えられて来た。
これだけの人物を動かすのだから、錦織圭の人徳とは、テニスの能力と同じ位すごいものだ。


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