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錦織圭VSマイケル・チャン [スポーツ]

マイケル・チャンとの


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錦織圭が戦っているテニス界の世界ランカーは、自分より20cm以上も背が高く、200km/hを超える強烈なサーブを連続で放ってくる怪物ばかりです。
錦織圭が背負っているハンデは体格ばかりではありません。
それは、「アジア人にしては」というテニス界全体にはびこる人種差別ともいえる「見えない敵」。
欧米の観客たちは、日本人ほど錦織圭を賞賛してはいません。
'13年の全仏オープンでは、地元フランスの選手を相手に、勝ちを拾っただけで凄まじいブーイングをもらったことさえあります。
その精神的な重圧というのは、TVで錦織圭の試合を見ているだけの私達には想像もつかないものであると思います。
若い頃の錦織圭は、そのプレッシャーに押しつぶされ、大会序盤で格下相手にあっさり敗れることも少なくありませんでした。
錦織圭は、それでもその苦境に立ち向かい、ついに、昨年の全米オープンで準優勝。
日本人史上初となる世界ランキングベスト10入りを果たしました。
今回の全豪オープンでも、錦織圭はバブリンカには敗れはしましたが、大会を通じて順当に勝利を収め、かつてのような「メンタルの脆さ」は見せませんでした。
錦織圭のメンタルの成長には、'13年の12月から錦織圭の専属コーチに就いたマイケル・チャンの存在が大きいと思います。
同じアジア系として、同じ苦難を経験してきたマイケル・チャンがそばにいたからこそ、錦織圭はここまで強くなることができました。

'72年、チャンは台湾から移民してきた両親の元、アメリカのニュージャージー州に生まれました。
テニス界にプロ入りしたのは16歳の時。
ですが、チャンの周囲の人間は、誰一人としてその才能を認めようとはしなかったと言います。
プロ入りしてから14年もの間、チャンのコーチを勤めてきた兄のカールの言葉に、テニス界にはびこる人種差別の影が感じられます。

「悲しいことだが、アメリカではアジア人に限らず、白人以外はみなある程度の差別を受けるんだ。
 たとえ才能があっても、それは免れない。
 弟のマイケルも、『絶対に成功しない』と言われ続けたよ。
 身長175㎝のアジア系移民の力を信じてくれる者は、一人もいなかった。
 でもマイケルは、その偏見を力に変えた。
 『勝てるわけがない。相手に優っているところなんて一つもない』
 そんな周囲の言葉が、元々あったマイケルの闘争心をさらに成長させ、誰よりも強いメンタルを持たせたんだ」


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そうして強くなったチャンに、世界が驚愕したのが'89年の全仏オープン。
観客は、相手はアジア人だから余裕だと、誰もが思っていたでしょう。
アジア人が世界を相手に実績を上げたことは、かつて無かったのですから。
そのマイケル・チャンという無名のアジア人は、縦横無尽にコートを走り回り、どんなボールにも喰らいつく。
劣勢に立たされても表情を崩さず、ポイントを奪っては雄叫びをあげる。
「アジア系には無理と決め付けているやつらを見返す」
チャンのその執念とも言うべき闘争心に、世界は目が離せなくなっていきます。


その時の全仏オープンでベスト8をかけて戦ったレンドル(米国)との一戦は、今もテニス史に残る伝説の名勝負です。
レンドルは、当時の世界最強。
誰も小さな黄色い猿に、世界最強のレンドルが負けることなんて想像もしていませんでした。
しかし、勝ったのはマイケル・チャン。
世界ナンバーワンを破った勢いで、チャンは全仏を制覇。
アジア系には絶対に不可能とまで言われていた4大大会制覇を、17歳3ヶ月という史上最年少記録で成し遂げたのです。

ですが、チャンの歴史に残る活躍も、テニス界に根強く残るアジア人への蔑視を根底から変えるには至りませんでした。
それを象徴するかのように、大会後、古くからのテニス愛好家の間で、マイケル・チャンを批判する声が多くあがります。
『あんな相手を苛立たせる目的のプレーは、紳士のスポーツであるテニスにふさわしくない』
飛び跳ねるようにボールに飛びつき、コートを駆けまわるプレイスタイルを『バッタ』や『ドブネズミ』といって侮蔑しました。

その後もチャンはグランドスラムに挑み続けましたが、決勝まではいくものの、再び優勝することは叶いませんでした。
テニス界の偏見を変えるという志は、あと一歩のところでついえたのです。
そして、グランドスラムを優勝した唯一のアジア人は'03年、31歳で引退します。
引退後は、マイケル・チャンはコーチのオファーをすべて断り、静かに隠遁生活を送っていました。

そんな彼が再び勝負の世界に舞い戻ったのは'13年の秋。
錦織圭からのコーチのオファーに応じてのことです。
錦織圭のオファーを受けた理由を、チャンはこう語っています。
「同じアジアにルーツを持つ者として、錦織圭には感じるものがあった」
おそらくチャンは、錦織圭に自分が果たせなかった夢を見たのではないでしょうか。

マイケル・チャンの錦織圭への熱血指導は有名です。
チャンは錦織圭のコーチに就任して早々、「君は私を嫌いになる」と告げました。
これは、「どんなことをしても錦織圭という選手を世界の頂点に立たせる」というマイケル・チャンの決意表明でした。
そんな熱意に触れて、錦織圭も徐々にマイケル・チャンを信頼するようになっていきました。

錦織圭の指導において、チャンが何よりも重視したのは、精神面の強化。
アジア人に対して好意的ではない、あの侮蔑の渦中で自分を見失うことなく、戦い抜ける精神力を徹底的に鍛えようとしました。

そのことが良く見て取れる出来事が、錦織圭がフェデラーにコテンパンにされた試合でのことです。
「尊敬するフェデラーと試合できてワクワクする。」
試合前にそうコメントした錦織圭を、チャンは責めます。
「お前は試合前から負けていた。」
「フェデラーだろうと誰であろうと、お前の道を邪魔するやつはみんな敵だ。」
「誰が相手であろうと関係ない。勝つのは俺だ。」
「過去の成績がどうであろうと、勝つのは俺だ、という強い気持ちがないと、絶対にトップには立てない」と。
マイケル・チャンの強い口調に、最初は面食らっていた錦織圭も、後には深く納得していた様子だったといいます。

技術面でも、チャンのスパルタは留まる所を知りません。
元々コーチだったアルゼンチン人のボッティーニは、比較的選手の自主性を重んじるタイプで、『今日はこの辺にしとく?』という感じで、選手目線に立って練習を切り上げていました。
錦織圭も、その姿勢に甘える面がありました。
しかし、チャンは絶対に許しません。
ジュニアで教わるような基礎の基礎を、錦織圭が本当に動けなくなるまで繰り返させました。
その姿はまさに鬼。
いえ、むしろ鬼がやさしく見えるほどです。
そんな徹底した反復練習も、「相手が誰でも勝つのは俺だ」という自信の裏づけになっているのではないでしょうか。

こうしたチャンの指導によって、錦織圭は徐々に、確実に変わっていきます。
格下の相手からは、確実星をもぎ取ることができるようになっていきました。
格上が相手でも「俺のほうが強い」という強気の姿勢を、前面に出して渡り合えるようになりました。

錦織圭はチャンの指導を得て、全米オープンでは準優勝。
今回の全豪ではベスト8に入るなど、確実に結果を残してきている錦織圭。

今や錦織圭は、確実に世界のトッププロの一人です。
ですが、マイケル・チャンは満足していません。
マイケル・チャンの見ているゴールは飽くまで錦織圭のグランドスラム制覇、そして世界ランク1位。
テニス界のアジア人蔑視を根底から覆す、アジア人初の世界一へ。
錦織圭とチャンの二人ならば、きっとやってくれるという気がします。


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