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錦織圭とデビスカップからの転戦 [試合情報]

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錦織圭他、日本のテニス選手の悲願とされているのがデビスカップと呼ばれる大会である。
いうなれば、男子テニスのワールドカップに位置する。
野球も、サッカーも(女子だが)、ワールドカップにおいて華々しい結果を残した事があるにも関わらず、このデビスカップにおいては1902年に初出場し、準優勝を飾ったのが最後、ワールドグループに入ることもできずにいるのである。
まずはそのデビスカップとは一体なんなのか。
錦織圭他、世界のテニスプレーヤーが優勝を夢見るデビスカップは、とても歴史が古い。
1899年にハーバード大学生4人が発案した大会だ。
各国4人の代表を決める。
そして3日間戦うのだが、5セットマッチで1日目はシングルス2試合、2日目はダブルス、3日目はシングルス2試合を行い、先に3試合取ったが勝つ。
イギリスに呼びかけて国際大会を始めた事が始まりである。
発案者の1人デビス(Dwight Davis)がトーナメントの形式を作成し、私財を投じて銀の優勝トロフィーを作った。
そして当初はアメリカ対イギリス二国間だけの戦いで、国際ローンテニスチャレンジという名前だったが、すぐにカップの制作者の名前をとってローランドロードス(Rowland Rhodes)が作ったデビスのカップという事でデビスカップと呼ばれる様になった。
つまり元々は二国間だけの争いで、カップはイギリス、アメリカ間を行き来するだけのものだった。
それが1905年にフランス、オーストリア、ベルギー、オーストラリア、ニュージーランドと参加国が増え、1920年には20国以上が参加する様になった。
1969年テニスオープンが開催される様になったが、50カ国がデビスカップへ出場。
前年チャンピオンはすべてのラウンドに参加せずとも良かったのだが、優勝国が限定されて来ていたため、1972年大幅にトーナメント形式を変更し、前年度優勝国もラウンドに参戦しなくてはならなくなった。
1982年に現在のトーナメント形式が導入され、ゾーン分けがなされた。
ワールドグループ16ヶ国、これがいうなれば本戦。
その下位にあたる地域別ゾーン4地域に分けられる。
さらに地域別各ゾーンは実力別に4部に分けられ、各部で優勝すれば、上の部に挑戦でき、勝てば上にあがれる。
1部まで昇格すると、次はワールドグループの今回1回戦敗退したチームと争い、それに勝てば来年ワールドグループ入りが確定する。

1921年日本も初めて参加。
フィリピン、ベルギーが棄権した事により繰り上がったが、そのあとインド、オーストラリアを破ったが、昨年のチャンピオンアメリカに敗戦。
初参加のアジアの小国が、チャレンジラウンドに進出した事が世界を驚かせた。
これが日本の頂点だった。
これ以降は何十年とワールドグループに入る事すらできずにいた。
その後ワールドグループ入り出来たのは、錦織圭が生まれるよりも前の1981年。
戦績はベスト16。
そしてその4年後1985年にベスト16。
それから低迷が続き、27年後の2012年再びワールドグループに返り咲いた。
錦織圭がデビスカップ参戦4年目の事である。
実に27年ぶりということもあり、しかも宿敵インドを倒したという事でお祭り騒ぎだった。
インドは優勝こそしたことは無いが、準優勝3回、アジアグループの1部常連国でもある。
しかも、日本の負け戦は1930年以降ずっと続いて2003年に一度勝っているが、さらにそこから実に9年ぶりの勝利だった。
錦織圭はこのとき、シングルで2勝している。
8月末にUSオープンをケガで棄権していたため、9月14日にデビスカップというのは錦織圭にとって不安もあっただろう。
その不安やプレッシャーを押しのけての勝利だったので、感動も大きい。
2013年のデビスカップは残念ながらワールドグループプレーオフ敗退。
錦織圭はこの大会にも出場していたが、残念ながらイスラエルに負けてしまった。
錦織圭はこのとき、シングルを1戦し、勝っている。
当時の錦織圭のブログから伺えるのは、このとき、イスラエルと日本は非常に僅差だったようだ。
どちらが勝ってもおかしくない。
しかしイスラエル側が普段以上の活躍をしたようで、残念ながら日本が負けてしまった。
プレーオフで負けたので、来年からはワールドグループから外れてしまう。
また一からの出直しである。
2013年デビスカップは下位グループを勝ち抜き、無事ワールドグループ入りを果たした。
プレーオフの結果は、コロンビア戦シングルス2勝。
デビスカップのプレーオフでは錦織圭は負け知らずに見える。
錦織圭この時は世界ランキングで12位。
さすがエースとして、日本を背負って戦っているだけの事はある。
2014年デビスカップはワールドグループでカナダを倒し、日本ベスト8入りを果たす。
これは実に1921年準優勝以来の快挙である。
1981年に制度改正して以来、初めての快挙でもある。
このとき錦織圭はカナダを相手にシングル2勝、ダブルス1勝し、チームを牽引して行った。
2015年はワールドグループにてセルビア相手に1回戦敗退。
プレーオフはまだだが、ここは踏みとどまってワールドグループ残留にがんばってもらいたい。

以上のように2012年まで、デビスカップで日本は非常に苦戦を強いられて来た。
しかし、ここ数年でワールドグループに出たり入ったりできるまでに成長しており、ベスト8入りを果たした事もある。
これは錦織圭を初めとする、日本男子のテニス力がアップしてきた為だろう。
錦織圭が世界ランキングを大幅に更新するまで、日本テニスはとても世界レベルで争えるものではなかったのだろうか。
特に錦織圭が世界ランキングを上げて行くと、他の日本勢もそれに共鳴するかのようにランキングを上げて行っている。
かといって、錦織圭以前は日本は力不足だったかというとそうでもない。
1878年にテニスが日本に伝来して、1920年オリンピックで日本史上初の銀メダルを取ったのはテニスにおいてである。
錦織圭以前にしてもずいぶん遠い「以前」だが、きちんと実績は出ているのである。
そのオリンピックの活躍により、翌年からデビスカップに招待されるようになった。
その後も1930年まで日本テニスの黄金期が続くのである。
しかし世界大戦などの戦争により、「錦織圭以前」の黄金期は終わりを迎える。
戦後は中々結果が出なかったが、1970年にデビスカップにて日本が強豪オーストラリアを倒す。
1921年以降実に50年ぶりの快挙だ。
オーストラリアは強豪中の強豪で、デビスカップ優勝回数28回。
一番多いアメリカの32回に次ぐ優勝回数である。
準優勝19回。
これも一番多いアメリカ29回の次に多い回数である。
ちなみに3番目に多いのはテニスの本場イギリスで優勝9回、準優勝8回と1位2位に比べると桁が一つ減ってしまう。
1971年のオーストラリアを倒す、というのは「錦織圭以前」の中でも直近ですごい快挙である。
なかなか日本人で、プロテニスプレーヤーとして活躍できる人は少ない。
もともと狭き門であるから当然だろう。
しかし、同じアジア勢から見ても日本の世界ランキングの位置はやや低かった様に思える。
それを懸念して、盛田正明氏は世界のトップで活躍できるテニス選手を輩出する目的でファンドを立ち上げた。
日本からも錦織圭のようにIMGアカデミーに短期留学する子供も増えている。
徐々にだが、環境が整いつつある。
第二、第三の錦織圭が世に出てくるのも時間の問題だ。
そうなれば、日本がデビスカップにおいて初優勝を遂げる日も遠くないのかもしれない。


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話は変わって、現在、錦織圭の世界ランキングは5月現在5位。
プロ転向後、7年でベスト5まで上り詰めた。
テニスは、自分の持っているポイントによって出場できる大会が決まってくる。
出たくてもポイントが足りなくて出れない大会もあれば、上位ポイント保持者は絶対にでなくてはいけない大会もある。
一年を通して世界30ヶ国68試合がある。
錦織圭など選手は一年の締めくくりとも言うべき試合ATPワールドツアーファイナルの出場を目指して奮闘する。
このATPサールドツアーファイナルは年間成績の上位8人しか出場することが出来ない大会である。
それに出場するだけでも大変な名誉である。
そのファイナルに出場するため、各選手ポイントを貯める為に必死なのだ。
世界ランキングとは52週の間に基準となる18大会の獲得ポイントによって順位が動く。
このポイントとは、大会に出場し、勝ち星を挙げるごとに増えていくものだ。
大会によって付与ポイントが違い、グランドスラム(4大大会)で2000ポイント、マスターズ1000大会、500大会、250大会と貰えるポイントが大会の種類になっている。
これは優勝時貰えるポイントで、もちろん高いポイントの大会程貰える賞金も大きくなるのである。
若手はすぐには大きな大会には出られないので、もっと下の方の大会に出てポイントを稼いでいく。
チャレンジャー、フューチャーズと呼ばれる大会で、世界40カ国以上で年間178大会開催される。
優勝ポイントは80ポイントから125ポイントまで。
チャレンジャーなどの大会はポイント数ではなく賞金の金額が大会名に付くことが多い。

その間、選手はだいたい年間30試合をすることになる。
では錦織圭はプロ転向後、ベスト5に至まで年間何試合をこなしていったのか。
上位と下位のポジションでは試合の数が変わってくるのか、どちらの方が試合数が少ないのか。
錦織圭の戦歴を元に検証していきたい。

まずプロ転向後2007年、錦織圭は世界をどのくらい転戦していたのだろうか。
3月アメリカフューチャーズ6→アメリカフューチャーズ8→全米男子クレーコート選手権
5月アメリカカールソン・チャレンジャー
6月アメリカユバシティー・チャレンジャー
7月レッグ・メーソン・テニス・クラシック(ワシントン)→インディアナポリス・テニス選手権(インディアナポリス)→カントリーワイドクラシック(ロサンゼルス)→ボゴタ・チャレンジャー→アメリカウィネトカ・チャレンジャー
8月全米オープン(ニューヨーク)→ロジャーカップ(カナダ)
9月チャイナ・オープン(北京)
10月釜山チャレンジャー(釜山)→ソウル・チャレンジャー(ソウル)→AIGジャパン・オープン(東京)

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