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ヤングガンズと錦織圭が故障 [スポーツ]

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錦織圭の、今後もっとも強敵となる相手は一体誰であろう。
ビッグ3はもちろんの事、錦織圭と同期のライバルやヤングガンズも育ってきている。
はたしてどちらが錦織圭にとって脅威となるか。
ビッグ3とは、男子テニス会に君臨する世界ランキング上位常連の3人。
すなわち2015年5月現在の順位だが、1位のノバク・ジョコビッチ、、2位のロジャー・フェデラー、7位のラファエル・ナダルの事を指す。
それに世界ランキング3位のアンディ・マリーを入れるとビッグ4と言われている。
特にこのビッグ3は錦織圭が世界ランキング10位に入った辺りから、憧れの存在から倒すべき敵にシフトしたメンツである。
その中でも特に強敵なのは、錦織圭がまだ1勝もした事がないラファエル・ナダルだろう。
2008年に初めて試合をして、2015年5月に至るまで7戦0勝という驚異的な数字だ。
そして他にも錦織圭がまだ1勝もしていない相手は、ビッグ4のアンディ・マリーがいた。
しかし、それも昨年までの話。
2014年11月ATPツアーファイナルにおいて、錦織圭は宿敵アンディ・マリーを倒している。
ここしばらく、錦織圭も世界ランキングベスト5にとどまっているのだから近々ビッグ5になるのではないだろうか。
しかし、錦織圭の場合グループ的にはヤングガンズの方だろう。
本人は「もう若手とは言えない」という主旨の発言をしているが、まだまだ「ヤング」のグループである。
ではビッグ4の面々はどのような経歴の持ち主なのだろうか。
まずノバクジョコビッチ。
1987年生まれで、グランドスラム8、勝セルビア人初のグランドスラム優勝者だ。
ATPツアーファイナル4勝に加え、世界ランキング1位在位100週という記録の持ち主。
錦織圭との対戦成績は7戦5勝(うち1回は錦織圭が棄権)2敗という成績。
次にロジャーフェデラー。
1981年生まれで、史上最高のテニスプレーヤーと賞賛されている。
2009年にキャリアグランドスラムを達成、2011年には錦織圭が出場する自体、必死にならなければならなかったATPツアーファイナルで6度の優勝を決めている。
それはもちろん最多優勝記録だ。
世界ランキング1位保持期間237週はじつに4年半の歳月を1位に君臨していた事になる。
その華々しい経歴もさることながら、フェデラーのフォームも教科書の様に模範的と言われている。
錦織圭との対戦成績は5戦して3勝2敗だ。
ラファエル・ナダルは1986年生まれ。
史上二人目となるキャリアゴールデンスラム達成者。
キャリアゴールデンスラムとは、4大大会優勝し、かつオリンピックで金メダルをとることだ。
ゴールデンが付かなければ、4大大会優勝すること。
これはフェデラーも達成しているが、ナダルはこれに金メダルが付く。
クレーコートを得意とすることから、「クレーの王者」と呼ばれている。
錦織圭との対戦績は7戦7勝。
対戦積だけみると、ナダルが一番の強敵に思える。
そしてビッグ4最後はアンディ・マリー。
ジョコビッチと同期で、1987年生まれ。
ロンドン5輪の金メダリストでイギリス側で104年ぶりの金メダルを獲得した。
生涯獲得賞金ランキング歴代5位で、グランドスラムでは2回優勝を果たしている。
4大大会の優勝回数は他の3人に比べてさほど多くないが、1度でも優勝することが難しい大会である。
それを2度優勝する、ということと、世界ランキングベスト5位の常連ということからして錦織圭にとっては強靭なライバルだ。
錦織圭との対戦成績は4戦3勝1敗。
この唯一の1敗が昨年のATPツアーファイナルだ。
錦織圭自体、彼ら4人よりも若くまだまだ経験値では劣る。
しかし、他の誰よりも打倒ビッグ4の近くにいる。
そして実力はほんの僅差まで近づいている。
まずはラファエル・ナダルから1戦でも勝ち取れたら、そこから更にメンタルの強さも磨きがかかるはず。
そうすれば、トップが入れ替わる日も遠くはないと言える。
だが、上だけを見ていればいい日は錦織圭にとって終わりが近づいている。
若手がどんどん育って来ているからだ。
ロジャー・フェデラーがあれだけ世界ランキング1位の在位期間が長いのは、上だけみて戦っていたからではない。
若手の活躍も阻止しているからこそ、だれも世界ランキングベスト5に這い上がって来れなかったのだ。
昨今ラケットの飛躍的進歩と、その他の要因からトップの寿命が延びて来ている。
その為、従来のテニスと違い中々世代交代が進まない。
そんな中でも必死で世界ランキングを這い登って来ている若手選手達がいる。
それが「ヤングガンズ」と呼ばれるプイヤー達だ。
かつては錦織圭もその一員だった。

ヤングガンズとは、ATPが毎年発表する若手の突出したテニスプレーヤーのこと。
10代バージョンと21歳以下バージョンがある。
ヤングガンズを選んで、ウェブサイトで取り上げる事によって若手の「売り出し」を計るのである。
なかなか世代交代がすすまないテニス界に新たな流れを作り出そうというのだ。

とりあえず錦織圭に近い年齢のアンダー21のヤングガンズ達を見てみよう。
まず1人目のヤングガンズはDominic Thiem(ドミニク・ティエム)1993年生まれ。
2014年の全豪オープンで当時世界ランキング3位のワウリンカを破った。
その後ナダルに破れているが、世界ランキングは自己ベスト36位。
現在42位。
そして二人目のヤングガンズNick Kyrgios(ニック・キルギオス)1995年生まれ。
身長193cm。
2014年のウィンブルドンでナダルを破りベスト8進出。
ちなみに錦織圭はこのときベスト16止まり。
身長さも大きいが、ナダルを破った事があるというだけで要注意の若手だ。
現在30位。
三人目のヤングガンズBornaCoric(ボルナ・コリッチ)1996年生まれ。
身長185cm。
今年の2月に行われたドバイ選手権において錦織圭が昨年やっと1勝を取ったばかりのアンディ・マレーにストレート勝ちしている。
当時のランキングは80位半ばくらいである。
そして昨年2014年10月に行われたスイス室内バーゼルにおいてナダルを破っているのだ。
まだ17歳だったコリッチは一躍注目を浴びた。
錦織圭がニガテとする2選手を倒した経験のある若手。
錦織圭もこのヤングガンズの出現に、うかうかしていられないだろう。
現在は53位。
そして最後のヤングガンズはJiri Vesely(ジリー・ベセリー)1993年生まれ。
身長198cmの長身という武器をもち、ATPヤングガンズに2年連続紹介された唯一の選手。
今年の5月イタリアBNL国際において2回戦で錦織圭と対戦している。
結果はストレート負け。
しかしこれから注目株であることには変わりない。
世界ランキング37位。

ヤングガンズと錦織圭ではランキングに差があるため、なかなか試合をする機会は少ないだろう。
若手がグランドスラムに出場しない限り、バッティングする大会はほとんど無い。
年齢的には錦織圭24歳とあまり差はないが、場数でいうと大きな差が出る。
そのため、ざっと経歴をみたところでそんなに錦織圭にとって脅威には感じないが、ヤングガンズの方が成長という伸び白は多いだろう。
上はビッグ4、下はヤングガンズ。
両方を相手にしていかなければならない錦織圭だが、まずは上のビッグ4を蹴散らし、そして下が登ってくるのを迎え打ってくれることだろう。
錦織圭が頂点に上り詰めるのを、ワクワクしながら見守ろう。


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スポーツ選手は自分の肉体を使って相手を蹴散らす。
その為、ケガがつきものである。
しかし中にはケガや故障といった弊害をほとんど無く過ごす選手もいる。
やはり故障は選手にとって死活問題。
例えば季節限定のスポーツなら、多少の故障はオフシーズンになんとか治せば良いだろう。
しかしテニスの様にほとんど一年中試合を行っているスポーツ選手はそうはいかない。
ではプロのテニスプレーヤーが年間どのくらいケガや故障を発生するのか。
そして故障による弊害とはどんなものがあるのだろうか。
錦織圭のプロ転向後の選手生活においてはどうなのかをみていきたい。
錦織圭がテニスのプロへ転向したのは2007年17歳の時だ。
その次の年から、錦織圭とケガの戦いがはじまる。
2008年は合計1回。
デルレイビーチで初の優勝を果たすもその後、グランドスラム初出場のウィンブルドンで腹筋肉離れを発症。
途中棄権となった。
2009年1月の全豪オープンから感じていた肘の違和感。
その肘をかばいながら戦う事2ヶ月。
3月のインディアンウェルズ大会後、錦織圭はドクターから肘が炎症を起こしていると告げられる。
その後錦織の経緯は8週間リハビリをし、徐々に大会に向けての準備を進めていた。
目標をウィンブルドン出場に定め、全仏オープンは欠場することに。
しかし5月20日にMRIを取ると、肘にヒビが入っている事が発覚。
疲労骨折が判明したのだった。
そして8月には更に前回のMRIでは発見されなかった右肘の関節軟骨の損傷。
そしてその為の内視鏡手術。
錦織圭はUSオープンも欠場となり、リハビリの為結局1年間大会出場することができなかった。
スポーツ選手がその本分であるスポーツができない、というのは相当の苦痛だろう。
自分がもっと上へ行けると思っているときは、何も出来ない苦痛というのは想像を絶する。
そしてどんどんライバル達が先へ進むのを自分はラケットに触れる事すらできずに見守るしか無い悲しみ。
しかもこのとき既に錦織圭は日清に所属。
様々なスポンサーと契約を結んでいたのだ。
選手がスポンサーと契約を結ぶとスポンサーから様々な援助が受けられる。
それは金銭的なものであったり、そのスポーツに関わるサービスであったり、テニス用品の支給であったり。
契約内容によっては、故障などで大会に出場できなければ、その間援助が受けられない事もある。
錦織圭が契約を結んでいる日清、ユニクロ、ウィダー、ウィルソンなど当時どれだけが援助を中止したのか、それとも援助を続けたのかはっきりされていない。
ただ、所属の日清はこの休業中の1年間も援助を続けていたということを、2012年4月錦織圭は所属契約の記者会見ではっきり言っている。
そして、そのことについてもきちんと感謝の意を述べている。
試合に勝つ負けるだけでもかなりのプレッシャーだが、多くのプロスポーツ選手には彼らを支える人間が大勢関わっている。
コーチ、トレーナー、マネージャーなど、選手が動けなければ、彼らも仕事が無い。
その為、錦織圭を始めとし、スポーツ選手はケガや故障で出場できない期間が続くとそれは勝ち負けの時に感じる以上のプレッシャーがあると思われる。
ただし、錦織圭は悲観的になったりせず色々な事を考え、勉強し、新たに復活した時には一回りも二回りも成長を遂げている。
それが2010年の年だ。
テニスにはワールドランキングがある。
そのランキングはポイント制で、大会によってもらえるポイントが違う。
52週でポイントが消滅するため、選手は必死にポイントを貯め、前年度のランキングを死守する。
そしてランキング上位だけが11月に行われるATPツアーファイナルに出場できるのだ。
これを目標に切磋琢磨しているのである。
ランキングが下がると出たい試合に出場する事もできなくなり、獲得賞金が多いに変わってくる。
このため、錦織圭が2009年長期に渡って大会出場できなかったので、ランキングが大きく下がってしまっている。
かといって復帰を急ぎすぎて再び故障発生となれば、今までのリハビリが水の泡となり、また振り出しにもどる。
錦織圭はここはじっくり耐えて故障を治すことを選んだための結果である。
その後、肘の状態も安定。
2011年5月ローマ大会当日、錦織圭は腹痛の為欠場。
このとき、なんと腎臓結石だった。
手術は不要だったため、全仏オープンには出場する事ができた。
錦織圭同年8月USオープン2回戦棄権。
その前の週のW&Sマスターズにてすでに出ていた左足の痛みによるもの。
腰から左足にかけての痛みで、大した事はなかったようで数日の治療ですんだ。
その証拠に錦織圭は翌月のデビスカップでは26年ぶりに日本をワールドグループ入りに導いた。
この年は計2回ほどで、そこまで大きな故障はなかったようだ。
錦織圭2012年5月バルセロナ大会にて横っ腹の腹筋肉を痛め、回復には1ヶ月かかると診断される。
体幹をささえる筋肉だったため、回復が早まる事はなく錦織圭は全仏オープンを欠場することに。
その後6月にも同じような症状が出たため、ハレの大会を欠場。
そして11月、錦織圭はまたしても故障に悩まされる。
左足の痛みにより、スイスとフランスの2大会を欠場した。
2013年、錦織圭は3月のデルレイビーチ大会を棄権。
ここでもまた横っ腹の腹筋を痛めたのだ。
7月、ウィンブルドンでは棄権こそしなかったが、錦織圭は腰、左ひざ、右足首と痛みに耐えていた。
棄権をせずに試合の無い日は練習をせずに治療にあてたりしての大会だった。
この年の棄権やキャンセルは1回。
故障自体、少ない。
2014年,錦織圭は2月デルレイビーチにて2回戦棄権。
その前のメンフィス大会優勝後の大会で、足やその他の部分に痛みを感じ、リタイヤ。
痛みに耐えても得る物がないと判断した為だ。
その後一度でも痛みがぶり返してしまうと、2009年の悪夢をもう一度繰り返す事になる可能性がある為、大事をみて治療に専念した。
とはいえ、わずか10日ほどのこと。
そして3月ソニーオープンにおいて錦織圭は股関節の痛み再発のため準決勝棄権。
すでに準々決勝から痛みが出ていたが、なんとか踏ん張りフェデラーを倒したがそこまでだった。
5月マドリードオープンにて錦織圭決勝棄権。
左足の股関節の痛みの為だった。
数日程で歩ける程度にはよくなっているが、錦織圭は2014年当初から股関節の痛や故障にたびたび悩まされている。
8月錦織圭は右足の拇指球に膿包が出来たため、切開し、除去するという手術をうけた。
2014年2月から痛みがあったのだが、痛みが良化したり悪化したりを繰り返していた。
それがウィンブルドン後悪化したので検査をしたら、膿包ができていたようだ。
切除手術後しばらくは歩く事が出来なかったようだが、5日程でトレーニングを開始。
錦織圭はUSオープンに照準を合わし、出場した。
10月錦織圭はバレンシアの大会をキャンセル。
これは10日前の大会上海ロレックスマスターズから痛みが発生しており、その痛みが引かなかった為の決断。
その後無事に11月のATPファイナルツアーに出場している。
この年棄権は4回と結構故障を多発している。
しかし、こうしてみると錦織圭は2009年以降長期療養はとっていない。
それだけ体調面が順調に成長しているということだろう。
そしてウィダーがスポンサーにつき、そのトレーナー中尾氏がきっちり錦織圭の体調管理をやっているためであろう。
無理させすぎず、甘やかさずといったところだろうか。
中尾氏がトレーナーについてから、けっこう厳しい体作りを要求されていた。
しかしそれをこなす事によって故障の少ない体になったのだから、的を得た改革だった。
錦織圭はこれからも、心身ともに成長を遂げてくれる事だろう。

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