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錦織圭と盛田正明 [試合]

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錦織圭がこれほどまでにテニスで活躍できるのは、錦織圭本人の才能ももちろんの事、周りのバックアップもあったせいだろう。
錦織圭の活躍により、一躍世間に名前が知れ渡った「盛田ファンド」。
プロのテニスプーヤーを目指す上で何よりも強力なバックアップとなる。
錦織圭もジュニア時代、この盛田ファンドにバックアップしてもらっていた。
では盛田ファンドとは一体どういったものなのだろうか。
設立はソニー株式会社の副社長も勤めた事のある人物、盛田正明だ。
盛田正明は、会社の研修で行った先の大学でテニスと出会った。
社会人になってからのテニスデビューだ。
錦織圭は5歳のころから始めたのに対して、盛田正明はだいぶ遅いスタートだった。
そこからテニスにはまり、長年テニスを続けているが、きちんと教わった事は無いという。
全部我流でやっていたらしい。
その盛田正明が会社を引退後、突然人生の目標を失ってしまった。
いままでは仕事の成果こそが人生の目的であったのだが、引退後は何も無くなってしまった。
それを恐れ、なにか生涯をかけて達成できることを始めよう、そう考えて盛田正明によって設立されたのが盛田ファンドだ。
昔は日本のテニスも世界の選手と対等に戦ってこれた。
錦織圭が生まれる遥か昔の事だが、テニスが日本に入って来たのは大体1878年。
日本人がテニスを始めたのは1886年。
今から129年も前のことだ。
1919年には全米3位になったのは日本人。
そしてアントワープ5輪で日本が初めて銀メダルを手にしたのは1920年、テニスのダブルスにおいてだ。
同じ年、ウィンブルドンで準決勝相当に該当するところまで進んだのも日本人。
1921年初のデビスカップ参加で昨年王者と対戦するチャレンンラウンド(決勝に該当?)に進出したのも日本人だ。
それが戦後になると中々突出した選手が男女ともに出てこなかった。
テニスというスポーツをみてみても、なかなかスポンサーがつかないし、ゴルフと違って賞金も日本はとても低い。
これは、日本では世界を相手に出来ない下火のテニスということを如実に表している。
競馬でも日本の馬は凱旋門賞では優勝できていないが、それでも他のレースでは優勝したり、結構上位に食い込んでいる。
日本の競馬は世界でもトップクラスの賞金が出る。
そして世界でも通用するくらい強い。
しかしテニスはそうではない。
だからこそ、盛田正明はこの日本のテニス界から、世界トップを輩出することを目的としたのだろう。
日本のテニスでは世界に通用しないと考えた盛田正明は、海外で若い人材を教育する事に決めた。
そのためにはどうすればいいのか、盛田正明はどうやらけっこう悩んだようだ。
そして親友でもあるマーク・マコーマックに相談すると、「最近買収した、ニックボロテリーアカデミーを使ってくれ」という話しになったそうだ。
そして、留学先が盛田ファンドからIMGへという流れになったのだ。
錦織圭はこのIMGで学んだ訳だが、ちょっと運命的なものを感じる。
さすがソニー元副社長というか、盛田正明人脈がハンパ無い。
マーク・マーコックが「親友」という位置にいる、というのがすごい。
マーク・マーコックとはスタープレイヤーのスポーツマーネジメントとという仕事からスタートし、最終はスタープレーヤーだけでなく、様々な分野の著名人のエージェントやスポーツ番組制作など幅広く事業展開し、2003年72歳で亡くなった。

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彼の得意分野はゴルフ。
スポーツビジネスで最も影響力のある人物と言われている。
そんな人物がポケットに入っているとは、本当にすごい。
もし盛田正明の人脈にマーコックがいなくても、どうにかして海外でテニスを習うという事はできただろう。
そして錦織圭もそこで育ったはずだ。
しかし、世界のトッププレーヤーを輩出しているニックボロテリーアカデミーほどではないはずだ。
いいタイミングでいい人脈がある、というのが一流企業の副社長盛田正明ならではだろう。
もし留学先がニックボロテリーアカデミーでなかったとしたら、おそらく錦織圭の運命も大きく変わっていた事はずだ。
錦織圭はここで様々な出会いを果たしている。
トップを狙うナダルが、対フェデラー対策に錦織圭を起用したり、その他もろもろのトップクラスの選手たちの練習相手ができることや、チャンのメールアドレスを錦織圭(正確にはその母親)がゲットするや、マネジメント担当のオリバー・ファンドリンクがマイケル・チャンを錦織圭の専属コーチへ口説き落としたのもIMGのエージェントならではの戦略の強さだろう。
そして何より、錦織圭が盛田ファンド設立よりも早く生まれていればこのような出会いはなかった。
錦織圭がもう数年だけでも早く生まれていれば、ジュニア時代に盛田ファンドがまだなかったかもしれない。
ほんの少しの偶然が重なって、運命が錦織圭を導いている様に見える。

盛田ファンドの存在意義はただ単に、テニスの普及などといった生温い話しではない。
万全の体制でバックアップするが、そのかわりバックアップの条件も非常に厳しい物となっている。
まずは、1次公募。
錦織圭の時代はスカウト形式だったが、最近は公募を行っている。
ちなみに錦織圭時は日本から錦織圭を含めて3名留学している。
これは現在も最多人数記録だ。
IMGアカデミーから呼び寄せたヘッドコーチによる2次選考。
それに受かればIMGでの2週間の短期留学。
外国人ばかりの環境に上手く適応できるかどうかを審査する。
それに合格すると、最終意思決定として最低1年間は家を離れてテニス漬けの生活が出来るかどうかを本人と家族に問う。
合意をすれば、晴れて盛田ファンドの援助を受け、IMGへ留学となる。
これによって錦織圭は14歳にして単身でアメリカへ渡ったのだ。
その後も1年ごとに高い目標を決められ、それに応じた結果をださなければならない。
それが出来なければ、1年で留学は打ち切りとなる。
錦織圭は1年目はそれほどでは無かったようだが、2年目からぐんぐん成長したという。
毎年目標を達成できれば、18歳まで援助が続く。
そしてプロへ転向という筋書きだ。
この留学を全う出来たのは錦織圭が初めてで、後に西岡良仁と今のところこの二人のみ。
その間、IMGの学費はもとより、本人が望めば日本の通信教育の学費、遠征費、生活費、アメリカの学校の学費、IMG滞在費、成田空港からIMGまでの交通費などが援助される。
これらは一切返金不要。
しかし世界ランキング100位以内に入ると、年間獲得賞金の10%を5年に渡って返還する決まりがある。
後の選手育成に回されるのである。
その他注意点は、スポンサー企業からテニス用品の支給は認められているが、金銭の授与に関しては、受け取った時点で盛田ファンドからの援助は打ち切られる。
あくまで、自費で留学できない若手に限定しているので、スポンサーがいるならそっちから援助を受ければ良いということだろう。

錦織圭はこのシステムを使い、3年目からエリートコースに昇格。
それと同時にIMGの提案で錦織圭に選任コーチが付く事になった。
これは盛田ファンド設立時のモットーともいうべき「良いと思われる事は何でもやって見よう」を盛田正明が実践した形といえる。
選任コーチを付けるということは、年間費用が一気に跳ね上がり1000万円を超えるという。
それでも盛田正明が即決したのは、錦織圭こそが日本人テニスプレーヤーで初めて世界のトップに立てる、そう思ったからだろう。
その後、錦織圭が世界ランキング100位以内に入り、盛田ファンドへ10%の賞金を還元したが3年目から専任コーチを付けた事によって、結局ペイできなかったらしい。
それでも盛田正明は世界のトップを育てられるという喜びには替えがたいだろう。
マーコックがボロテリーアカデミーと出会い、そのマーコックに盛田正明が出会い、その盛田ファンドに錦織圭が出会い、マイケルがその錦織圭に出会った。
これで役者はそろった。
あとは錦織圭がトップを極めるのを見守るのみだ。
そうすれば、錦織圭を追いかけて日本のジュニア達も育ってくるのではないだろうか。

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